弾薬が雨あられと降り注ぐ映画「レニングラード攻防戦」の一幕がよみがえる。久々に岩波新書のベストセラーと聞くと手にしないわけにいかない。「独ソ戦―絶滅戦争の惨禍」。著者の大木毅は18年5月に神保町をぶらついていた時に、岩波の長沼編集長から電話を受けた。独ソ戦の通史を書いてみないかという依頼。願ってもない話とその足で岩波に出向き、快諾した。赤城毅というペンネームで、小説などフィクションも書いている二刀流。飛びそうになる文脈を、岩波新書だぞと抑え込んでいるように見える。膨大な資料から通史として評価を得なければならない悩みであろう。
さて、スターリンとヒットラーの闘いである。不安や恐怖の影響を強く受け、被害妄想に絶えず襲われるパラノイア(偏執症)のふたりだが、41年の開戦時はそれぞれ63歳と52歳。独裁的な権力を握り、もてあそんでいるふうだ。もてあそばれた末の人類史上最大の惨劇は、激闘だけでなく、憎しみからのジェノサイド、収奪、捕虜虐殺と際限なくひろがり、死者の総数はソ連で2700万人、ドイツで800万人を超える。一度転がしたコマは止まれない。軍事的な合理性を持った通常戦争から、収奪戦争、絶滅戦争へと突き進むしかなかった。なぜか、なぜ引き返せなかったのか。この疑問に未だに人類は応えていない。まず怖がらせ、ちょっと喜ばせるアメを与え、共犯者に仕立て上げる。他愛もなく権力に取り込まれてしまう性から抜け出せない。
まず、ヒットラーから見ていこう。第1次大戦で疲弊しきったドイツ経済に、大規模な財政出動で不況脱出を図る。軍備の拡充も急がねばならないが、増税策は取らず国民に犠牲を強いることを避けた。そして究極の打開策が収奪を目的にした戦争。侵略や併合によって、食料、石油、鉄鉱石などが大量にドイツには運び出され、280万人の他国民が強制労働者として送り込まれた。ドイツ国民は敗勢に傾くまでその生活は高水準に維持された。それは共犯者だということ。侵略した国家からの仕返しの怖さがナチス依存に駆り立て、思考停止となっていく。実際ベルリン陥落で、ドイツ国民はソ連軍から地獄のような暴虐、凌辱を味わう。
そして、スターリンだ。その病的な猜疑心は36年から38年にかけて約70万人が粛清された。革命によって成立した社会主義国家ゆえ、いつ転覆されるかわからない状況で、赤軍の有能な創設者は準備していた。ところがその猜疑心は軍隊にも及び多くの有能な将校を粛清し、ソ連軍の背骨を叩き折ったといわれる。加えて、ドイツの侵攻はないとした油断もあり、怒涛の進撃を許すことになる。「一歩も退くな」と叫ぶスターリンは、懲罰隊を組織し、退却する自国軍兵士に銃を向けることも厭わなかった。それでも非を悟らざるを得なかったスターリンはナポレオンを打ち破った祖国戦争になぞらえ、共産主義と祖国防衛を合一させ、有能な将校を復帰させた。ドイツ軍の過酷な仕打ちへの報復だという心理も重なり、また米国からの軍事物資の提供もあって、攻勢に転じていく。簡単なロジックに翻弄される大衆の無垢さはやり切れない。
思い出すのは、「殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす」三光作戦は日本だけではなかった。民族、国家の利益優先を掲げ、憎悪を掻き立てていく。そんな論法の行く着く先は誰にも見えていることだが、現実はそうとならない。
アベ政権が氷河期世代を救うとか、教育費の無料とかをいい出すが、ちょっとしたアメぐらいしゃぶらせてやれという魂胆が見え見えとなってきた。「私の祖国は世界です」。これを合言葉にしよう。