「日本の高校生の皆さん、よくいらっしゃいました。ここにある展示物は日本人にとって、とても苦痛に感じるものばかりです。でも、ここを直視することから、本当の友好が始まるのだと信じています」。70歳前後の日本人と覚しきガイドが、ゆっくり高校生に語りかけている。「日本の歴史教科書と違っているかもしれません。日本から見る歴史と、韓国から見る歴史の大きな違いを、簡単に片付けないで、立ち止まって自分の言葉で考えてください。国家を超える個人の生き方が見えてくるようになるまで考え抜くことです。今でなくていいのです。ここの体験が胸の中に小さな芽を育み、いつか判断が迫られた時の道標になればいいと思います」
ようやくにして、韓国忠清南道天安市にある独立記念館を訪ねることができた。12月13日早朝、ソウル駅から韓国の新幹線といわれるKTXに乗り込んだ。窓口でファーストクラスか、と問われて「ネー(はい)」と答えてしまった。「アニョ(いいえ)」が咄嗟に出てこなかったのだ。天安駅まで所要時間39分。窓外の風景に眼を凝らした。日帝の支配下であえぎ、朝鮮戦争で繰り返された同民族での殺戮、焦土と化したこの半島に、いまだ痕跡をとどめるものがあるのか。時速は298キロを表示している。
手入れの行き届いた畑が続く。円く土盛りした墳墓が畑の中心にあったりする。牛舎が見えると、昨夜の焼肉もここで育成されたものかと苦笑いする。立ち並ぶ高層のアパート群だ。現代建設、サムソンとあるが、財閥系に依存する経済に危うさを覚える。工場団地らしきものに、97年のウォン通貨危機から始まったIMF支配下での苦しさによく耐えたのだな、と必死の頑張りが浮かんでくる。
そんな感傷も束の間、天安駅だ。ハングル講座の天坂さんがタクシー用にメモを書いてくれた。覚束なさに、帰りのタクシーも列車時間に合わせて予約した方がよいからと、ありがたいサポートである。そのタクシーで約20分、独立記念館だ。
87年8月15日の光復節に合わせて開館された。82年日本の歴史教科書がアジアへの侵略を「進出」に書き換えられたのが、大きな危機感を呼び起こした。とんでもない歴史の歪曲と全土に怒りが渦巻き、国民の募金によって設立された。120万坪の広大な敷地に、民族精気の発揚とあるが、数え切れない太極旗がはためく。修学旅行と覚しき韓国の女子高校生の集団にまじって入館した。
問題の拷問体験は、日帝侵略館にある。壁棺はひとりが入って立つと動けない。数日監禁されると全身が麻痺する、更に高圧電気拷問が仕掛けられている。3つの壁棺が並んでいて、小さい窓から審問されるのだが、その窓を覗き込むと鏡のようになっており、自分の顔が映し出される。女子高校生達は悲鳴を挙げながらも、順番に覗き込んでいた。女性独立闘士に加えられた性的な拷問場面もジオラマで再現されている。隣にいるおじさんがイルボンサラム(日本人)であることは、彼女達にも分かっていた。出口で、ハングル説明の発音がわからなかったので、教えてもらったのだが、緊張しながらも素直な対応だった。日本の高校生も修学旅行を活用して、積極的にここの見学をいれて、英語でもいいから交流させるべきである。
印象的だったのが、明治政府高官で、日本中を征韓論で熱狂させる役割を果した佐田白茅(さだはくぼう)だ。吉田松陰、西郷隆盛と並んで表示されている。また、韓国を事実上属国とする乙巳条約を、脅迫に屈して売国奴となった5人の大臣を「乙巳五賊」と断罪。決して許さないという展示も、気合が入っていた。親日派追及が未だに続いているのがよく理解できる。
滞在2時間を予定していたが、メモを取りながら、読めないハングル表示も気にかけていたら、実際の半分も見ることができなかった。帰りのタクシー予約を後悔しながら、独立記念館を後にした。
冒頭にあげた70歳前後の日本人と覚しきガイドは、10年後の自分でありたい。そんな空想的な思いを込めてみた。
独立記念館
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