たのしみは朝餉の味噌汁のうまき時。目覚めがすっきりとして、冷たい水で顔を洗い、湯を沸かしながら、じゃがいもと菜っ葉にひじきをぶち込んで、料亭の味なる味噌をいれて、溶かし込んで出来上がりだ。老人独居ではこれが精一杯というところだが、朝の至福である。
たのしみは煩わしい人間関係から解放され、プールに飛び込んだ時。蹴伸びをして手足を真っ直ぐ伸ばし、50メートル先まで見透した瞬間に、憂きことがすべて消えていく。海で育った男だということも蘇ってくる。マスターズのタイムが徐々に落ちてくるが仕方がない。人生最良にして最高の趣味を得たと思っている。
たのしみは居酒屋で、熱燗のコップ酒をあおる時。回数はめっきり減り、3ヵ月に一度くらいか。富山駅前の居酒屋「初音」。上市町有澤酒造の銘酒「白緑」だが、これがうまい。おかあちゃんお勧めの刺身にいつもピッタリ合う。先日久しぶりにのぞいたら、天井から、これまた懐かしい蝿取紙がぶら下がっていた。若い時は5杯くらいをさっとあおって、やおら出陣となったが、この日は2杯で打ち止めにした。
このように綴ってみたが、橘曙覧(たちばな・あけみ)の独楽吟に倣ってみたに過ぎない。正岡子規は、源実朝以来、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛し、「清貧の歌人」というのは、子規が彼を評していったもの。幕末期に越前に住み、明治初年に亡くなっている。その学識を高く評価する松平春嶽が出仕するように訪ねているが、「わたしがよく見えるのは野の粗末な庵に咲いているからですよ」と歌に寄せて辞退すれば、春嶽公は「粗末な庵に咲く花はそっとそのままにしておこう」と無理強いをしなかったという。
初めて橘曙覧の名を身近に聞いたのは、谷内正太郎前外務事務次官からであった。退官から間もない時に、郷里富山で慰労しようというパーティが開かれ、彼はそのあいさつで、沖縄返還交渉で佐藤栄作首相の密使となった若泉敬を取り上げた。その若泉が晩年同郷であった橘曙覧に傾倒していき、精神的バランスを欠き、遂に自殺にまで追い詰められた自分を慰めたという話を交えて、独楽吟のいくつかを披露したのである。それが妙に心に残っていた。
6月19日放映されたNHKスペシャルはその若泉を追っていたが、佐藤栄作の日記からわかることは、若泉のことなど歯牙にもかけていなかったことである。まるで捨て駒だ。ただただ歴史に名を留めたいとする佐藤の飽くなき欲望に踊らされたに過ぎない。その絶望の深さを唯一なぐさめたのが独楽吟ということになる。
はてさて、われら凡人は、小さなたのしみを集めて生きていくしか術がないことを今更ながら銘記しなければならない。加えて、人の見分け方も身に付けておかねばならない。「この人は、すべての人を平等に扱うことができるかどうか」をリトマス試験紙とするのも、間違ってはいない。権威、権力、肩書き、男女、小さな能力の差違、そんなもので左右されていないかどうかである。
96年、天皇皇后両陛下がアメリカを訪問した際に、クリントン大統領がその歓迎スピーチで、独楽吟を引用している。「たのしみは朝起きいでて昨日まで 無かりし花の咲けるを見るとき」。ホワイトハウスのスピーチライターがどんな経緯で独楽吟を選択したのか、興味深い。
孤独な老境にあると、たのしみは稚児のように乳房まさぐる時、となる。そんな至福がもう一度訪れてもいいような気もするのだが・・。もうひとつの独苦吟。愚かな老人よ、乳房に隠された恐ろしき代償をもう忘れたのか!
独楽吟
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