わが町内は190戸、13班で構成されている。班長は順番だから、ほぼ10余年で一巡し、班長の互選で町内会長が決まる。この団地が出来て30年近くなるが、新興団地の空気を未だに残しており、1年で全員が交替する。在郷の隣接する町は10数年同じ人が会長を担っていて、自治振興会では子供扱いだ。昨年は会長選出に班長会議を4回も重ねたと聞き、雰囲気は想像されたが、さりとて鰥夫(やもお)では、因果を含めて女房を出席させるわけにもいかない。こういう結末になることは予見していたが、自己紹介と会長を引き受けられるかどうかを順に述べていくのだがイライラが募った。30分を過ぎたあたりで、町内会長ということになっていた。困った性格である。粘りには程遠く、信念というのを持ち合わせていない。
という経過だが、何はさておいても、民生委員から町内の実状を聞くことにした。守秘義務という縛りがあってもどかしかったが、高齢化が予想以上のスピードでこの町を襲っていることがはっきりとした。あなたも今年から、11番目の老人独居世帯となり、チェックリストにはいりますという。これには愕然としたが、75歳以上の老老世帯が26軒にも及んでいる。老老介護を超えた認認介護が、よそごとではなく目の前に及んでいるのである。認知症でのトラブルが続き、ようやくの思いで施設に送り込んだこと、あっという間に老夫婦が亡くなり、甥っ子が後見人として現れ、売家となっていること等々、社会の縮図であることは間違いない。
一方、町内の予算を見ると、住民運動会、夏祭り、自治振興会の分担金が過半を占めている。住民ニーズとはかけ離れてきている。役員に遠慮して、気がついていても云い出せないのだ。何とも難しい綱さばきも求められるということだ。
といいつつ、こんな問題提起をした。この町で、それぞれの自宅で、いのちを全うする手立てを模索しようというケアタウン構想である。全員賛成を前提とする町内会では、論議が進まないという前提で、自立した一歩先行く組織を、自発的な人でやっていく。それぞれが会費を持ち寄り、時に出資が必要なら拠出し、人材が必要なら求めていく。それがNPOということになるかもしれないし、株式会社であってもかまわない。ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ、というわけだが、その果実がゲマインシャフトへ還元されることもまた当然である。無謀を承知で、そんな問いかけを始めたのである。
幸いにというか、この町内に医師が8人もいる。ひとりの麻酔科医が賛同してくれたので、どう展開していくか、期待が持てそうだ。キーワードはやはり女性のまとめ役である。日常生活の延長線でものごとを考えて、実践していく人がいないと動かない。包容力のある、エネルギッシュな肝っ玉かあちゃんという人材が得られるかどうかが決め手をにぎっているといっていい。
さて、ここは新任町内会長として、基本的な問題を整理しておきたい。町内会は果たして公共となる存在かどうか、だ。隣近所が順番に役員をする任意組織が、民主主義的な正当性をもっているとはいえない。明らかに、ノーである。自治振興会なり、地区センターなりが行政の末端として、安易に町内会に公的事業の一部を委託してくることにも、大いに疑問を感じている。さりながら、この問題をすっきりさせたいとしたら、何年かかるかわからない。新しい公共なるものも、ここを抑えないと進めることはできない。
そうであっても、おそらく東北の被災した町の町内会長さんは、そんな疑問など微塵も持たず、自らのことはさておいて、町民救出、援助にひたすら精魂を傾けておられるに違いない。
猪口才な青二才め!何をほざいている。こんな現実を前に正当性もくそもあるか。厳しい叱責が聞こえてくるようだ。
町内会長
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B! -