文士たるものの覚悟を、期せずして二人から読むことになった。ひとりは車谷長吉、いま一人は角川春樹。文士を目指すなんて一度も思ったことはない。未だに「て・に・お・は」が覚束ないのだ。この二人の変人,奇人ぶりを割り引くにしても、その覚悟は凄まじく、こうして駄文を綴るだけだが、怖じ気づいてしまった。
「作家になるためには、1年にひとりの作家の全集を全部読む必要がある。それを30年ぐらいくり返す。また自分が気に入った作家の作品1篇を、50回ぐらい声に出して読み、耳から聞いて全部記憶してしまうこと。私の場合は、森鴎外の『阿部一族』をそうした。国語辞典、漢和辞典を全部読む。これは必要条件であって、十分条件ではない。これだけの努力をしても、なれない人はなれない。覚悟が必要である」。
車谷長吉が「世界一周恐怖航海記」で更にこう述べている。1998年の直木賞を受賞した「赤目四十八瀧心中未遂」は彼の3回に及ぶ姦通事件を下地にしている。一度目は男、女の子供のある女。二度目は女二人の子がある女。三度目は男二人のある女。いずれも私に金がない(甲斐性がない)ことから行き詰まった。最初の女は私を見捨て、次ぎの女は私の方から手を切った。その次ぎの女は狂気のごとく私に追いすがって来たが,私は失望し、逃げて帰った。私はこの小説によって栄誉と金を手にした。この三度の経験がなければ「赤目」は書くことが不可能だったろう。受賞後「男子の本懐を遂げました」の挨拶は、屈辱の日々をようやく見返すことができた思いだったのであろう。特に「漂流物」で阪神大震災の起きた95年に芥川賞候補になりながら、惜しくも逸した悔しさが背景にある。その間に見逃せないのが車谷48歳の時、49歳の詩人・高橋順子と結婚していることだろう。詳しくは高橋の「けったいな連れ合い」にゆずるが、強迫神経症に襲われている。芥川賞を逸したこと、西武の堤清二に拾われ嘱託となっていたが、西武が傾き、自宅待機になったことなどから、24時間手を洗い続け、幻視、幻聴に怯える日々であった。夫婦の危機でもあったが、それでも「赤目」を書き続けたのだ。もちろん、高橋の献身があってのことである。
いまひとりの角川春樹はどうか。句集「角川家の戦後」をこの5月に上梓し、あとがきで『魂の一行詩』で挑戦状を叩きつけた。魂の一行詩とは、日本文化の根源にある、「いのち」と「たましい」を詠う現代抒情詩のことである。俳句にとって季語は最重要課題であるが、季語に甘え、季語にもたれかかった作品は詩ではない。今、私は「俳句」という子規以来の言葉の呪縛から解き放たれ、独立した。『魂の一行詩』という名称を提唱するのも、俳壇外のより多くの人々にアピールするためである。これは短詩型の「異種格闘技戦」であるから、詩、短歌、俳句、川柳、それぞれの出身の方々に是非、『魂の一行詩』のステージに上がられることを望む!。
これぞまさしく挑戦状である。安楽に身を置いた「俳句的俳句」、技術論ばかりの小さな「盆栽俳句」と訣別し、詩として屹立させよ、と迫っている。
手元にある「角川家の戦後」の扉に、「銀漢 春樹」と力強く墨書されている。直筆のサイン本だが、姉にあたる辺見じゅんさんからいただいた。どう詠むかではない、何を詠むか。虚と実の皮膜の中で、想像力を大きく羽ばたかせろ。「リズム」と「映像の復元力」、そして「自己投影」で大きく魂を詠え。その覚悟がなければ去るべし!ということである。因みに「銀漢」とは天の川の意で、「銀漢の底に獄舎の鮫眠る」(春樹)。
ところで、腑に落ちないのが政治家の覚悟だろう。阿部政権構想では、自衛隊海外派遣の恒久法化、憲法改正、教育基本法改正と更に右旋回しようとしている。脇を固める中川政調会長がポストほしさに擦り寄る会派に、総裁選と政策は別とはいわせないと脅している。郵政法案と同じく、反対なら党を去れ、ということ。本当にこんなことでいいのか、と覚悟を問い直したい。いうまでもなく、政治信条も、論理も、展望ももたない、居直り覚悟は願い下げだ。
文士の覚悟
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