毎朝8時半頃だろうか。舎房にコツコツコツという靴音が、コンクリート床に響きわたる。いつもと違う靴音ではないか、と神経を集中させる。針が落ちても聞き逃さない、じっと息を潜めたような不気味な静寂だ。やがて聞き覚えのある看守の「運動用意」の声に、舎房全体がホッとした雰囲気となり、緊張が溶けていく。死刑囚が入っている舎房では、こんな朝が繰り返されている。朝食後のこの時間に、死刑執行が伝達されるからだ。
オウム真理教信者達の日常を追ったドキュメンタリー映画「A」。これを自主制作したのが森達也だ。その後も囚われの身となった彼らを訪ねている。林泰男、新美智光、早川紀代秀、広瀬健一などで、みんな死刑囚である。死刑が確定すると面会はできない。林泰男を訪ねたのは、確定する数日前。林はスーツを着ていた。その理由を笑顔で話す「だって、ほら・・もうすぐ確定するからね。これが最後の面会になるかもしれないから」。この映画監督はそんな日々を「虚実亭日乗」と題して、紀伊國屋「スクリプタ」に連載している。
林泰男は88年にオウムに出家し、7年後の地下鉄サリン事件の実行犯である。それも自ら志願して、他の実行犯よりひとつ多い3つのサリン袋を持ち込んでいる。メディアは「殺人マシーン」と呼んだ。森の人物評だ。穏やかで快活で面倒見のいい兄貴という雰囲気の男だ。一番多くサリン袋を持った理由も、どうせ誰かがこの役目を引き受けなくてはいけないのならば自分が、と考えたようだ。実際に会って話せば、確かにそんなタイプなのだろうと納得できる。
林だけに限らない。みんな死刑囚だが、同時にとても優しくて真面目で誠実な男達でもある。彼らの罪は重い、罰を受けねばならない。そこまではわかる。でもその罪と償い、彼らの存在がこの世界から強制的に消滅させられるのだ。何かが疎外される、何かがゆがむ。森はこう煩悶、苦悶する。
かくして森達也著「死刑」(朝日出版社刊)が生まれた。林泰男も差し入れてもらって読んでいる。映画監督は机の上で考えない。ただただ訪ね歩く、映像が浮かんでくるような感じだ。まず訪ねているのが、死刑制度廃止を推進する市民団体を立ち上げた安田好弘弁護士事務所。麻原彰晃、カレー事件の林真須美、光市母子殺人事件など積極的に受任している。世評とは違って,高く評価していい法曹人だと思っている。「死刑廃止を法廷で考えているとしたら弁護士失格だ。法廷は事実を争う場であって、政策や思想の場ではない」と持論。8割が死刑存置の世論の中で、賛同の得られない運動を担っている。
死刑判決を受けながら、生還した人が4人いる。免田事件の免田栄もそのひとり。無罪を訴え続け、32年を要した。再審決定時には、舎房の死刑囚みんなが胴上げしてくれたという。彼の述懐が胸をつく。死刑に至らしめた捜査員、検事、裁判長を訪ね、問い詰めている。「俺達は仕事でやった」「今さら非難するな」裁判官にいたっては「ご苦労さん」。いずれも退職後自動車学校の課長、弁護士と真面目に世渡りをしている。お上に逆らったらいけないという、強く擦り込まれた怖がりDNAである。多くの日本人が、この老人を含めて抜けきれない。
森の「死刑」は廃止派に身を置きながらも、存置派にも理があることに揺れ動く。「同じ空気を吸いたくない」とする被害者の応報感情は、死刑執行を求めて止まないが、決して癒されるものではない。その先の虚しさにもまた耐えていかねばならない。
さて、死刑執行を通達されてから、残された時間は数時間。刑務官に誘導されて処刑場に入る。最後の饅頭などが出されたりするが、ほとんど口をつけないという。教誨師と別れの言葉をかわし、目隠しをされ、110センチ四方の枠の内に立つ。踏み板がはずれ、ロープが首にかかり大きく体がバウンドし、そして再びロープが首に食い込んでいく。20分以上吊るしてから、脈を取って心停止を確認する。
朝の靴音
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B! -